大相撲界のレジェンド 小さな大横綱・千代の富士
物理学の世界では、体重が重い人と軽い人がぶつかった時に重いほうが圧倒的に有利であることが証明されています。そういった意味で、体と体が真っ向からぶつかり合う相撲の世界においては大きい力士が圧倒的に有利で、小さな力士がトップで活躍した例は多くありません。
そんな中、小さな力士の中で圧倒的な結果を残してきた力士と知られるのが昭和末期から平成初期にかけて大活躍した千代の富士です。
彼が圧倒的に不利な状況の中で大活躍できた理由は、類まれなる運動神経と真面目で何事も諦めない性格にあります。
北海道で生まれた千代の富士こと秋元貢は、子供の頃から圧倒的な運動神経の良さで陸上競技の選手として将来を嘱望されていました。しかし、ある事がきっかけで天才陸上少年に対して大相撲界からの熱心なオファーが届くようになり、10代半ばで上京して力士を目指すようになります。
デビュー当時はまだ陸上選手的な体型をしていて体重が軽かったものの、筋力の高さと様々な工夫にてステップアップしていきました。
その後、25歳の頃に幕内初優勝を飾ると1980年代を通して大相撲界の頂点に君臨し続け、どんどん通算優勝回数が増えていきます。
一番すごかったのは1986年で、この年は年間6場所中・3月の春場所を除いて5場所にて優勝を飾っています。
千代の富士にとって、ハワイからやってきた大型力士・小錦とは当初は天敵でした。
しかし、体重が自身の2倍以上ある小錦に勝つ事を諦める事はせず、小錦が所属していた高砂部屋まで頻繁に出稽古をしに行き、小錦本人とのぶつかり合いを重ねます。
そんな中から小錦攻略法を見つけて、その後は小錦にも勝てるようになりました。
不可能と思われてきた事を努力によって可能にしてきた歴史を持つ千代の富士関の輝かしい成績(通算幕内優勝31回)は、今でも小さな力士達の励みとなっています。